あの日が人生で、生きてきて一番激しい恐怖に襲われた日だったと思う。
まさか、真夏の、湘南の、炎天下の、休暇日の、雑踏の中で・・・あの恐ろしいものと遭遇するとは・・・。
少し前振りが長くなりますが、この世界には異形のものがいるという話しなので最後までお付き合い下さい。
2007年頃の夏場も、逗子海岸で友人を手伝い「海の家」に参加していた。
元新宿のBarの同業者が都会を離れて、逗子で海の家を始めた2年目か・・・。
前年から逗子に住んでいた。自分は沖縄への移住を決めていたが、立ち上げからの誘いに乗った。まぁ寄り道はいつもの人生。
折角の開放的な海の家、心地よく大好きな夏を過ごしたいところなれど、1年目のスタートは逗子海岸始まって以来の悪天候、売り上げも悲惨だった。
2年目の商戦も振るわぬ上に、煩わしい人間関係が加わった。本人がいないと露骨に陰口ばかり叩くイケ好かない仕事仲間への姑息さに憤っていたが、夏の間だけのことなので口をつぐんでいた。
ただ運営をスタッフに任せていた新宿の店の落ち込む売上げは死活問題だった。個人的にはその他に恋愛ごとも含め、確かに幾つもの内包した不満と苛立ちを抱えていた時期ではあった。

お盆手前、やっとその夏3回目ぐらいの休みが取れる前の日だったかと・・・。夕方5時ぐらいに仕事を少し早めに上がって、憂さのガス抜きをしようと逗子から大船へ向かう。まだ陽も落ちない夕刻、大船の商店街は相変わらずの人出で賑わっていた。
誘った仲間がオーナーの居酒屋に寄って、長いカウンターで数杯は飲んだだろうか。
すると、携帯に一本の電話が掛かって来た。
当時の本業はあくまで新宿歌舞伎町の場末のAsianBarの経営。私の店のある商店街を特集した冊子を作るという出版社からだった。
逗子に来る前は地元で町興し的なことをしていた。なので当時は雑誌を中心に、ラジオ・テレビの取材にもよく対応していた。その名残りの仕事だった。
若き編集者からの電話は、どうやら私が紹介した仲間内の店の取材で少し揉めたとか・・。。具体的な話しの中身は今となっては覚えていない。どうやら野放図な取材で礼節を欠いたことが原因だったような・・・。そして、私に迷惑をかけたかも知れないという謝罪の内容だった・・ような・・・。

話していても相手が言いたいことが判然とせず、私は徐々に苛立ちを覚えた。
長くなると思い、一旦店を出て、前の通りへと出た。人の往来は更に増えていたが、編集者との会話で私は切れる寸前になっていた。湘南へ移ってからは心を安めていたが、昔の自分が出て来ようとしていた

私は店の前の通りを行ったり来たりしながら、編集者に指示を出そうとして・・・?、
いや、もうとっくに指事は文句になっていたか・・・。道を繋いだのにとても恥をかかされた思いがこみ上げ、ついに・・「てめえ!、なにやってくれてんだよ~!」的な怒声を路上で上げ始めていた。
一度切れるともう人前なんか、気にもならない。ただただ忿怒を発する壮年オヤジと化していくだけだ・・・。冷ややかな通行人は素知らぬ顔でこちらに目を向けることもなく通り過ぎゆく。
私は通りを右に出て少し行ったところの、まだ開いていない店舗のシャッターの前にしゃがみこんで怒りをぶちまけ続けた。勢いに乗ると心のダークサイドが果てしなく広がる・・・が・・・。
前方5mいや、もう少し離れていたかも知れない。ふと黒ずくめの人影が目に入った。
一見若そうな人物が立ち止まったまま、私の方をじーっと見ている!。
それは凍り付くような異様な気配を纏っていた・・・。
一瞬で尋常ならざる恐怖に襲われてしまった!。
「死ぬ」・・・正直にそう思った。ヤクザに絡まれたとか、狂人に日本刀をふりかざされるとかというレベルではなく、人智を越えた形で命が奪われるような凄まじい恐怖を感じた。
男がフッと息を吸ったら自分は瞬時にその場で落魄してしまうという絶望感の中にいた。動悸は数十秒で一気に高まり、体が激しく震え始めていた。
私は幼少期にはタクシーに15m跳ね飛ばされ、中学の時は臨死体験するほど海で溺れ、三十路はパニック障害に、不惑過ぎには心筋梗塞に襲われ、何度も死の淵を垣間見た。だが、その男との遭遇はこれまでのどんな恐怖とも比べものにならなかった。
何とか離れなくてはと思った。私は戦慄の中、平静を装おうとして、電話口に言葉を発し続けていたが、その声は震えていた。編集者の言葉も聞く余裕などは全くない。ただ何とか足掻こうと勇気を振り起こし、さっきの店に戻ろうと立ち上がった。
生物的な本能から、半歩ずつでも逃げようとするのが精一杯だった。
近いはずの店の入り口までが途方もなく遠く感じる。半分腰が抜けていたのかも知れない。
そう、ソレは瞬間的に「死に神」だと思った。恐怖には覆われていたが、もう一度、振り向いた。
見たいじゃないか、どうせ死ぬなら、滅多にお目にかかれない死に神の顔・・・。

出で立ちだけは鮮明。黒ずくめ。とは言え、喪服ではなく、黒いカッターシャツ、黒いスラックス、黒いスニーカー、そして黒いハンチング帽子・・・、身長は私より低い。そこまではハッキリ記憶されたのだが・・・、帽子の下にある筈の顔が・・・。
死は覚悟した。自分の理不尽な怒気と憎悪が死に神を呼び込んでしまったのだ。
奴は背後に着いて来ていた。私は紛れもなくロックオンされているようだった。周りの人は知らん顔だ・・・。見えていないのかも知れない。
後の祭りだが、せめて顔を確認して死にたいと思った。もう一度、振り向いてみた。
3度目もやっぱり顔はなかった。いや、無いというのではなく、モザイクというか、顔の部分が暈けているというか、砂嵐状態と言うか・・・。顔が構成されていない。
死に神に間違いないだろう。これまで幾多の超常現象に遭遇し、おどろしい怨霊や、悪魔すら追い払い、危機を乗り越えてきただけに、今回は抗うことが全く無意味であることが分かっていた。そういうことなのかも知れない。
諦観を抱えつつ、何とか店の中に逃げこんだ。ひょっとすると?、と言う淡い期待はやはり見事に裏切られ、若き?死に神は店まで入って来た。自分が座った席から一席空けて彼は静かに座った。体は私の方に向けていた。
カウンターの中にはいつもの若き店長と、そして海の家スタッフの女性がいた。だが二人の会話は一瞬で途切れていた。

私は恥ずかしいぐらいにグラスを持つ手が震えているのを感じた。
注文をする男の声は妙に穏やかな口調で、死に神なのに優しい声だった。
そして、彼は戦慄の中にある私に話しかけて来た。だが、残念ながら、全く彼の言葉が私の耳の中で言語として伝わることはなかった。
いつ死ぬのだろう、いっそ恐怖で狂う前に一息にやってくれと思うばかり。
だが、彼は言葉を続けていた。私は彼を見ていた。だがやはり私には彼の顔を判別することは出来なかった。顔が見えないのに何か微笑んでいるように感じた。私の魂はもう半分以上吸い取られた気分だった。やがて彼の長い、いや長く感じた語りは終わった。
死に神は私を生かしたまま、勘定を済ますと、静かに席を立ち店を出て行った。安堵というものはなかった。私はその後ロックの酒を一気に呷っていた。勿論、いくら飲もうが酔うわけはではないのだが・・・。
カウンターの中の若き店長が一息置いてから、私に声をかけた。
「とんでもないものを連れてきてしまいましたね・・・」いつもの剽軽な軽口とは違う。
「危なかったわね~」っていうような事をスタッフの女性も一言発した。どうやら物体としては皆に見えていた様だった。
だが、体の震えが収まらない自分に、奴がどう見えたのか、訊く余裕はなかった。
恐怖にバインドされたまま、その夜は結局殆ど酔えずに逗子の家に帰った。翌日、私は当てつけの怒りをぶつけてしまったことを編集者に携帯で詫びた。
彼も謝りつつ、その後の報告を受け、取材は何とか収まりをみせると感じた。死の恐怖が去ったわけではなかったが、この時やっと少し心が整理できた。
私には昔から思っていた疑問があった。「憤死」という言葉がある。
怒りすぎて脳溢血にでもなって死んでしまうことだろう、ぐらいに思ってたが、それだけではないな・・・、と。
私のように激昂してしまうような愚か者は、死に神の餌食になるのかも知れない・・・と納得した。むしろ、不思議だった。あの異形の者はどうして愚かな自分をこの世に止めたのか?。言葉としては私には伝わらなかったが、あの時、間違いなく彼は私を諭していたのだ。
どうやら一回見逃してもらった様だ。あれから思う。いい歳をして、他者への当てつけで鬱憤を晴らすような愚かな行為は決してしないようにせねばと・・・。少し小説風な書き口になったが、全くのオーバーな脚色も一切付け加えてはいない。それでも、あの圧倒的な絶望感の恐怖は伝えられない。
これを読んだ貴方も、つまらぬことで命を落とさないように「アンガーマネージメント」を心がけておいて下さい。死に神はいつも町なかでターゲットを探しているようです。
まさか、真夏の、湘南の、炎天下の、休暇日の、雑踏の中で・・・あの恐ろしいものと遭遇するとは・・・。
少し前振りが長くなりますが、この世界には異形のものがいるという話しなので最後までお付き合い下さい。
2007年頃の夏場も、逗子海岸で友人を手伝い「海の家」に参加していた。
元新宿のBarの同業者が都会を離れて、逗子で海の家を始めた2年目か・・・。
前年から逗子に住んでいた。自分は沖縄への移住を決めていたが、立ち上げからの誘いに乗った。まぁ寄り道はいつもの人生。
折角の開放的な海の家、心地よく大好きな夏を過ごしたいところなれど、1年目のスタートは逗子海岸始まって以来の悪天候、売り上げも悲惨だった。
2年目の商戦も振るわぬ上に、煩わしい人間関係が加わった。本人がいないと露骨に陰口ばかり叩くイケ好かない仕事仲間への姑息さに憤っていたが、夏の間だけのことなので口をつぐんでいた。
ただ運営をスタッフに任せていた新宿の店の落ち込む売上げは死活問題だった。個人的にはその他に恋愛ごとも含め、確かに幾つもの内包した不満と苛立ちを抱えていた時期ではあった。
お盆手前、やっとその夏3回目ぐらいの休みが取れる前の日だったかと・・・。夕方5時ぐらいに仕事を少し早めに上がって、憂さのガス抜きをしようと逗子から大船へ向かう。まだ陽も落ちない夕刻、大船の商店街は相変わらずの人出で賑わっていた。
誘った仲間がオーナーの居酒屋に寄って、長いカウンターで数杯は飲んだだろうか。
すると、携帯に一本の電話が掛かって来た。
当時の本業はあくまで新宿歌舞伎町の場末のAsianBarの経営。私の店のある商店街を特集した冊子を作るという出版社からだった。
逗子に来る前は地元で町興し的なことをしていた。なので当時は雑誌を中心に、ラジオ・テレビの取材にもよく対応していた。その名残りの仕事だった。
若き編集者からの電話は、どうやら私が紹介した仲間内の店の取材で少し揉めたとか・・。。具体的な話しの中身は今となっては覚えていない。どうやら野放図な取材で礼節を欠いたことが原因だったような・・・。そして、私に迷惑をかけたかも知れないという謝罪の内容だった・・ような・・・。

話していても相手が言いたいことが判然とせず、私は徐々に苛立ちを覚えた。
長くなると思い、一旦店を出て、前の通りへと出た。人の往来は更に増えていたが、編集者との会話で私は切れる寸前になっていた。湘南へ移ってからは心を安めていたが、昔の自分が出て来ようとしていた

私は店の前の通りを行ったり来たりしながら、編集者に指示を出そうとして・・・?、
いや、もうとっくに指事は文句になっていたか・・・。道を繋いだのにとても恥をかかされた思いがこみ上げ、ついに・・「てめえ!、なにやってくれてんだよ~!」的な怒声を路上で上げ始めていた。
一度切れるともう人前なんか、気にもならない。ただただ忿怒を発する壮年オヤジと化していくだけだ・・・。冷ややかな通行人は素知らぬ顔でこちらに目を向けることもなく通り過ぎゆく。
私は通りを右に出て少し行ったところの、まだ開いていない店舗のシャッターの前にしゃがみこんで怒りをぶちまけ続けた。勢いに乗ると心のダークサイドが果てしなく広がる・・・が・・・。
前方5mいや、もう少し離れていたかも知れない。ふと黒ずくめの人影が目に入った。
一見若そうな人物が立ち止まったまま、私の方をじーっと見ている!。
それは凍り付くような異様な気配を纏っていた・・・。
一瞬で尋常ならざる恐怖に襲われてしまった!。
「死ぬ」・・・正直にそう思った。ヤクザに絡まれたとか、狂人に日本刀をふりかざされるとかというレベルではなく、人智を越えた形で命が奪われるような凄まじい恐怖を感じた。
男がフッと息を吸ったら自分は瞬時にその場で落魄してしまうという絶望感の中にいた。動悸は数十秒で一気に高まり、体が激しく震え始めていた。
私は幼少期にはタクシーに15m跳ね飛ばされ、中学の時は臨死体験するほど海で溺れ、三十路はパニック障害に、不惑過ぎには心筋梗塞に襲われ、何度も死の淵を垣間見た。だが、その男との遭遇はこれまでのどんな恐怖とも比べものにならなかった。
何とか離れなくてはと思った。私は戦慄の中、平静を装おうとして、電話口に言葉を発し続けていたが、その声は震えていた。編集者の言葉も聞く余裕などは全くない。ただ何とか足掻こうと勇気を振り起こし、さっきの店に戻ろうと立ち上がった。
生物的な本能から、半歩ずつでも逃げようとするのが精一杯だった。
近いはずの店の入り口までが途方もなく遠く感じる。半分腰が抜けていたのかも知れない。
そう、ソレは瞬間的に「死に神」だと思った。恐怖には覆われていたが、もう一度、振り向いた。
見たいじゃないか、どうせ死ぬなら、滅多にお目にかかれない死に神の顔・・・。

出で立ちだけは鮮明。黒ずくめ。とは言え、喪服ではなく、黒いカッターシャツ、黒いスラックス、黒いスニーカー、そして黒いハンチング帽子・・・、身長は私より低い。そこまではハッキリ記憶されたのだが・・・、帽子の下にある筈の顔が・・・。
死は覚悟した。自分の理不尽な怒気と憎悪が死に神を呼び込んでしまったのだ。
奴は背後に着いて来ていた。私は紛れもなくロックオンされているようだった。周りの人は知らん顔だ・・・。見えていないのかも知れない。
後の祭りだが、せめて顔を確認して死にたいと思った。もう一度、振り向いてみた。
3度目もやっぱり顔はなかった。いや、無いというのではなく、モザイクというか、顔の部分が暈けているというか、砂嵐状態と言うか・・・。顔が構成されていない。
死に神に間違いないだろう。これまで幾多の超常現象に遭遇し、おどろしい怨霊や、悪魔すら追い払い、危機を乗り越えてきただけに、今回は抗うことが全く無意味であることが分かっていた。そういうことなのかも知れない。
諦観を抱えつつ、何とか店の中に逃げこんだ。ひょっとすると?、と言う淡い期待はやはり見事に裏切られ、若き?死に神は店まで入って来た。自分が座った席から一席空けて彼は静かに座った。体は私の方に向けていた。
カウンターの中にはいつもの若き店長と、そして海の家スタッフの女性がいた。だが二人の会話は一瞬で途切れていた。

私は恥ずかしいぐらいにグラスを持つ手が震えているのを感じた。
注文をする男の声は妙に穏やかな口調で、死に神なのに優しい声だった。
そして、彼は戦慄の中にある私に話しかけて来た。だが、残念ながら、全く彼の言葉が私の耳の中で言語として伝わることはなかった。
いつ死ぬのだろう、いっそ恐怖で狂う前に一息にやってくれと思うばかり。
だが、彼は言葉を続けていた。私は彼を見ていた。だがやはり私には彼の顔を判別することは出来なかった。顔が見えないのに何か微笑んでいるように感じた。私の魂はもう半分以上吸い取られた気分だった。やがて彼の長い、いや長く感じた語りは終わった。
死に神は私を生かしたまま、勘定を済ますと、静かに席を立ち店を出て行った。安堵というものはなかった。私はその後ロックの酒を一気に呷っていた。勿論、いくら飲もうが酔うわけはではないのだが・・・。
カウンターの中の若き店長が一息置いてから、私に声をかけた。
「とんでもないものを連れてきてしまいましたね・・・」いつもの剽軽な軽口とは違う。
「危なかったわね~」っていうような事をスタッフの女性も一言発した。どうやら物体としては皆に見えていた様だった。
だが、体の震えが収まらない自分に、奴がどう見えたのか、訊く余裕はなかった。
恐怖にバインドされたまま、その夜は結局殆ど酔えずに逗子の家に帰った。翌日、私は当てつけの怒りをぶつけてしまったことを編集者に携帯で詫びた。
彼も謝りつつ、その後の報告を受け、取材は何とか収まりをみせると感じた。死の恐怖が去ったわけではなかったが、この時やっと少し心が整理できた。
私には昔から思っていた疑問があった。「憤死」という言葉がある。
怒りすぎて脳溢血にでもなって死んでしまうことだろう、ぐらいに思ってたが、それだけではないな・・・、と。
私のように激昂してしまうような愚か者は、死に神の餌食になるのかも知れない・・・と納得した。むしろ、不思議だった。あの異形の者はどうして愚かな自分をこの世に止めたのか?。言葉としては私には伝わらなかったが、あの時、間違いなく彼は私を諭していたのだ。
どうやら一回見逃してもらった様だ。あれから思う。いい歳をして、他者への当てつけで鬱憤を晴らすような愚かな行為は決してしないようにせねばと・・・。少し小説風な書き口になったが、全くのオーバーな脚色も一切付け加えてはいない。それでも、あの圧倒的な絶望感の恐怖は伝えられない。
これを読んだ貴方も、つまらぬことで命を落とさないように「アンガーマネージメント」を心がけておいて下さい。死に神はいつも町なかでターゲットを探しているようです。
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