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蚊帳の外から覗き込む異形

2020年02月14日

Posted by 琉球ジョー at 22:36│Comments(0)幼少期
もうすぐ小学校に上がる頃の記憶です。

私の一家は昭和36年に新宿の鳴子坂下のアパートから、戦後すぐに建てられた新宿区役所近くの木造長屋へと、居を移しました。一階は店舗で両親はそこでBarを経営して、二階三階を生活空間にしていました。と、いいましても、広さは7坪程度の弾丸黒子です。

私は昼はよく陽の当たる三階の6畳を与えられました。三階と言えば聞こえはいいのですが、戦後の東京の家屋は違法建築が当たり前で、実は二階までしか造れない木造の家にも屋根裏のような三階がありました。私ら一家が移り住んだ場所は青線の残りで、一階が店、二階が売春宿、三階が住まいのような感じの作りだったのです。

子供ながらに何やら怪しいところだとは思っていましたが、春からは日差しのよく入る部屋だったので、昼に特に何かを感じてはいなかったと思いますが、そう、少し歳月が流れたある夏の夜に怪異現象に襲われることとなりました。

母は蚊帳を吊っていた三階の部屋で私を午後8時頃までに寝かしつけて、店を手伝いに一階へと降りてゆきます。恐らく最初は電灯を消していたと思います。ある夜、寝入ってから時間がどれほど経っていたのかは、覚えておりませんが、ふと階段の方に気配を感じて、目を覚ましてしまうのです。すると、なんと階段を上りきった僅な踊り場に、寝ている私を俾倪している者がいるのです。

最初は暗闇にモヤっと現れた気がします。しかし蚊帳越しにはっきりと認識できる異形の者だったのです。
鎧を着た残バラ髪の侍。落ち武者です。もう恐怖の余りに泣くしかありません。その声は相当響き、隣のラーメン屋のおかみが、私が大泣きしてることを店に告げに来たほどです。母が店から大慌てで上がってきます。その時にはもう落武者の姿はありませんが、私は余りの恐怖に母に抱かれて嗚咽し続けたように思います。

そして、その異形の出現は一回で終わることなく、次の日は侍ではなく・・・。骨だけの白骨の姿でも現れたのです。皮肉なことに一回目の出現の後から闇を恐れた私は部屋の明かりを点けたままにするように懇願したらしく、連日やってくる武者の顔や、骸骨の肋の一本一本までを見てしまっていたのです。そして私は毎回豪快に泣き始めるのです。

どちらも身の丈もそれ程高くはなく、屋根の高さからして五尺よりやや大きい程度か・・・。落ち武者は絵に描いたようなザンバラ、骸骨はまるで理科室に吊るされていた標本の様に、白く浮き上がって見えました。勿論、骸骨には目はありませんでしたが、その首は明らかに寝ている私の方を向いており、ぽっかり空いた眼腔が恐怖に痙きつる私を凝視しているように見えました。

それは一夏続いたように思います。恐らく両親が何かの対策を施したたことで終わったのでしょうが、その2つの異形の立ち姿は今でも思い出すことが出来ます。それが同一霊なのか、守護霊だったのか、はたまた地縛霊だったのかは、それ以来見なくなったので知る由もありません。ただ、あの時が初めて幽霊?、幽体?を見た最初の機会となりました・・・。

ただ今考えると決して襲ってきたわけではなかったので、むしろ私を守っていたのか・・・哀れんでいたのか・・・、きっとそんな感じの霊だったのかも知れません。その地域が墓場だったりではなかったので、たまたま一時的に部屋が霊道となった時に通り過ぎた浮遊霊だったのでしょうか?。あれ以来彼らを見ることはありません。

「ね~ん ね~ん ころりよ おころりよ ぼうやは~ よいこだ ねんね しな」
あの頃、私はもの寂しい母の子守歌に、異形の者が毎晩現れようが、寝なければいけないのだなと感じつつ、程なく眠りについてしまうのだが、親はそばにいてくれるものではないと言う無常観は深く私の心に、人生の刹那的機微を教え込んでくれた。私は父親が好きだった戦争のことが何となくわかるようになっていた。




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